仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…
何度も同じこと書いてる気がするけど、何度でも書く。 好きなサイトやブログが、停止したり閉鎖したりするのは、やっぱりさみしい。身構えていてもいなくても、なんかこうみぞおちらへんにくるものがあります。 以前、ある人に「伝えるべきことは伝えられるうちに伝えるべき相手に伝えるべきだー、と思う」と言われて、そうだなぁって、それからはなるべく、そうしよう、そうしたいと思ってきた。でもそれは、読めなくなることのさびしさを減らすものではないから、やっぱり、さみしいはさみしい。 それはきっと、続いていたものが、終わるからなんだと思う。 特に何度かやりとりをさせてもらった相手の場合、「これに反応して書きたい!」とか「書いたの読んで欲しい!」という気持ちで書いたりしたものが、この日記にもぼこぼこ埋まっているわけです。私はそういうのがすごく嬉しかったし、楽しかった。 でも、今日もまたいつものようにメモ帳開いて、何
■当サイトについて このBLOGは2007年の秋に、来日したばかりの状態で旧NOVAが経営破綻したことに窮地に陥ったアメリカ人2人と出会ったことにはじまります。BLOGで情報発信することにより、ネット、マスメディアを含めて多くの注目を集める結果となりました。 現在、アメリカ人2人はBLOGを離れて日常の生活に戻っております。 窮地におちいったアメリカ人に対して、数多くの激励、応援のメール、物資の援助、プライベートレッスンの申し込みをいただきました。と、同時に数々の批判や罵声を受けたのも事実です。 管理人の私も、彼らとのやり取りの中で、数々の違和感や文化の違いを感じてきました。決して円満な終わり方ではなかったのかもしれません。それらの経験をふまえたうえで、今後、外国人とコミュニケーションをとるうえで、何が課題であり、どう対応していくのかを考えていきたいと思っています。旧BLOGで書けなかった
答えは、”女社会だから。” もっと正確に表現すると、”女の子社会だから。” 今朝Twitterで SNSで、日記に対するコメントをメールで送ってくる人って シャイなのか大胆なのか判断に迷う という紅の発言からミクシィ談義に花が咲き、 ブログだとコメントよりメールの方が敷居が高いけど、ミクシィは逆なんですよ。 なぜだろ。 よく言われるのが、「べにぢょさんの日記に新参がコメントして、 既存のマイミクに”誰だこいつ”と思われるのが怖い」と。 そうか、仲良しグループが出来てるからダメなのか。 ブログはオープンだから”輪”が見えにくい。 ミクシィは空気を気にしすぎるきらいがある。小学生の女の子みたいだ。 あ、これは馬鹿にしてるわけじゃなくて。なんとなく昔を思い出しただけ。 ここまで一気にTwitして、面白そうな予感がしたのでこうしてエントリを起こした次第です。 そう、ミクシィは女の子社会。 いわゆる
きのうのICPFセミナーのスピーカーは、三田誠広氏だった。もう少し率直な意見交換を期待していたのだが、自分で信じていないことを長々としゃべるので、議論も噛みあわなかった。そのちぐはぐな質疑応答の一部を紹介しておこう:問「これまで文芸家協会は、著作権の期限を死後50年から70年に延長する根拠として、著作権料が創作のインセンティブになると主張してきたが、今日のあなたの20年延ばしても大した金にはならないという発言は、それを撤回するものと解釈していいのか?」 三田「私は以前から、金銭的なインセンティブは本質的な問題ではないと言っている。作家にとって大事なのは、本として出版してもらえるというリスペクトだ。」 問「しかし出版してもらうことが重要なら、死後50年でパブリックドメインになったほうが出版のチャンスは増えるだろう。」 三田「しかしパブリックドメインになったら、版元がもうからない。」
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