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阿部嘉昭ファンサイト: シド・バレット論(佐々木 崇仁)
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阿部嘉昭ファンサイト: シド・バレット論(佐々木 崇仁)
【解題】 シド・パレットの在籍していたピンク・フロイドの一枚目、『夜明けの口笛吹き』と、バンド脱退... 【解題】 シド・パレットの在籍していたピンク・フロイドの一枚目、『夜明けの口笛吹き』と、バンド脱退後のシドの(未完成感のつきまとう)初ソロ作『気狂い帽子が笑う』は、ピンク・フロイド関係では例外的にCDに焼いていたはずなのだが、整理が悪く見当たらない(1時間探したのだが)。佐々木君の素晴らしいシド・パレット論を読み、それらが聴きたくて、もどかしくて、どうしようもない。聴かないと解題も覚束ない。そう、何かこの磁圏にたいしては記憶も稀薄なのだった。 そうなる理由が、シドの属性自体にある。弱い。一聴して他のミュージシャンにない傾きがある。あるいはロック性のない(たぶん自閉症特性とリンクするような)発声。それが音痴気味の歌唱と化合されて、ロック史が置き去りにしたもの――併呑できなかったものに突き当たったような気が以前はしたものだった。衝撃は小ささのなかに定位されている。それはロックのジャンル性以外の