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ドゥルーズの遺言をまったく無視した美学的ドゥルーズ研究者の流行
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ドゥルーズの遺言をまったく無視した美学的ドゥルーズ研究者の流行
私が気づいたのは、ディコンストラクションとか、知の考古学とか、さまざまな呼び名で呼ばれてきた思考―... 私が気づいたのは、ディコンストラクションとか、知の考古学とか、さまざまな呼び名で呼ばれてきた思考――私自身それに加わっていたといってよい――が、基本的に、マルクス主義が多くの人々や国家を支配していた間、意味をもっていたにすぎないということである。90年代において、それはインパクトを失い、たんに資本主義のそれ自体ディコントラクティヴな運動を代弁するものにしかならなくなった。懐疑論的相対主義、多数の言語ゲーム(公共的合意)、美学的な「現在肯定」、経験論的歴史主義、サブカルチャー重視(カルチュラル・スタディーズなど)が、当初もっていた破壊性を失い、まさにそのことによって「支配的思想=支配階級の思想」となった。今日では、それらは経済的先進諸国においては、最も保守的な制度の中で公認されているのである。これらは合理論に対する経験論的思考の優位――美学的なものをふくむ――である。(柄谷行人『トランスクリ