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戦闘教師「ケン」 激闘永田町編: 国体とは何か~国民統合の原理について・上
先の大戦における日本国民の死者は軍人から市民まで含めて公称310万人、さらにシベリアに長期抑留さ... 先の大戦における日本国民の死者は軍人から市民まで含めて公称310万人、さらにシベリアに長期抑留されたものが60万~70万人おり、その他にも多大な犠牲者を出した。 犠牲者の大半は1944年後半以降の戦争末期に出たものであり、敗北必至の中で戦争が長引いたのは、当時の日本政府が「国体の護持」を絶対の大義として掲げ、一歩も譲らなかったためだった。 1945年7月26日に連合国(現在の国連)がポツダム宣言を発した際、日本政府は国体あるいは天皇制に関する記述が無いために「国体護持の保証が無い」との意見が強まり、ソ連を仲介しての和平交渉を検討していたこともあって、翌日、宣言がなされた事実のみを公表した。 読売新聞は「笑止、対日降伏條件」、毎日新聞は「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」などと報道している。 政府が公式見解を発表しなかったことを受けて、軍内部や国民に動揺が走り、突き上
2012/10/06 リンク