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1970年代の狂気:核爆発によるクラ運河開発計画 - 100光年ダイアリー
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1970年代の狂気:核爆発によるクラ運河開発計画 - 100光年ダイアリー
過去の自分は8割がた調べたあたりで気が済んだらしく、本記事は長らく下書き状態にあった。久々に読み返... 過去の自分は8割がた調べたあたりで気が済んだらしく、本記事は長らく下書き状態にあった。久々に読み返してみて、もったいないと感じたのでとりあえず公開しておく。ここ5、6年以上は関連記事なども追っていないので、最近の情報はないことに注意。各リンク先も生きているかは確認していない。 クラ運河とは 海峡とは逆に、2つの陸をつなぐ、水域にはさまれて細長い形状をした陸地のことを地峡という。タイのマレー半島の最も狭い部分であるクラ地峡〔Googleマップ〕を開削し、東のタイランド湾(南シナ海)と西のアンダマン海(インド洋)を水路で結ぼうという構想が古くからあり、この仮想運河をクラ運河、またはクラ地峡運河と呼ぶ。かつてスエズ地峡にスエズ運河を、パナマ地峡にパナマ運河を建設したのと同様な考えである。 Maximilian Dörrbecker (Chumwa), Public domain, via Wik