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わずか2モデルで撤退したカシオのスマホ事業がアジアに与えた影響
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わずか2モデルで撤退したカシオのスマホ事業がアジアに与えた影響
2018年5月にデジカメからの撤退を発表したカシオ。以前はスマートフォンも手掛けていましたが、事業合併... 2018年5月にデジカメからの撤退を発表したカシオ。以前はスマートフォンも手掛けていましたが、事業合併を繰り返したのちにそちらも撤退しています。G'zOneブランドでタフなスマートフォンを送り続けてきた同社の歴史を振り返りましょう。 スマホはまずはアメリカへ。日本にも投入 カシオは2000年にCDMA方式で日本の携帯電話市場に参入しました。2004年には日立と合併し、カシオ日立(カシオ日立モバイルコミュニケーションズ)となります。とはいえその後も端末のブランドはカシオ、日立とそれぞれ分離されての販売が続きました。 カシオ日立時代は2004年から2010年までの7年間で、KDDIとソフトバンク向けにフィーチャーフォンを投入。キャリアの型番に則って製品をリリースしていましたが、カシオの携帯電話はタフネスさを持ちながらファッション性も持った同社の腕時計、「G-SHOCK」の精神を受けた「G'zO