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柳原堤 - 神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!
「柳原封彊(やなぎはらどて) 筋違橋より浅草橋へ続く。其間長凡十町許あり、享保年間此所の堤に悉く... 「柳原封彊(やなぎはらどて) 筋違橋より浅草橋へ続く。其間長凡十町許あり、享保年間此所の堤に悉く柳を栽させらる。寛永十一年(1635年)の江戸絵図(「武州豊島郡江戸庄図」)には柳堤とあり。堤の外は神田川也。又此堤の下に柳森稲荷と称する叢祠あり。故に此地を稲荷河岸と呼べり。昔は神田川の隔てもなく、此川の南北ともにおしなべて、柳原といひし広原なりしとなり」(「江戸名所図会」) なお、下掲「図会」の神田川及び柳原堤は左カーブしていますが、これは広い範囲を一望する表現上の技法で、実際は筋違橋から浅草橋にかけてほぼ直線です。 ・ 「江戸名所図会 / 柳原堤」 「楊柳堤春望 楊柳堤辺楊柳春/千枝交影払紅塵/請看裊々金糸色/総映青雲馬上人 高維馨」 元和6年(1620年)の「台徳院殿御実記」に、「此秋はじめより神田台の下に堀をうがち、堤を築かしめる。堀の方は松平右衛門大夫正綱奉行し、堤は阿部四郎五朗正