エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント2件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
日本による「朝鮮皇后暗殺」の歴史を直視しよう - アリの一言
20年前の今日(1998年10月8日)、日本(小渕恵三首相)と韓国(金大中大統領)との間で「日韓パートナー... 20年前の今日(1998年10月8日)、日本(小渕恵三首相)と韓国(金大中大統領)との間で「日韓パートナーシップ宣言」が行われたことは、メディアでも取り上げられています。 しかし、それからさらに約100年前の同じ10月8日(1895年)、日本がソウル(京城)で起こした重大事件が振り返られることはほとんどありません。 「1895年10月の真夜中、日本公使(今日の大使―引用者)の三浦梧楼(退役中の陸軍中将―同)が日本守備隊と大陸浪人を使って王宮に侵入し、王妃である明成(ミョンソン)皇后(閔妃―ミンビ)を殺害したうえ、凌辱して焼き捨てるという蛮行」(尹健次著『もっと知ろう朝鮮』岩波ジュニア新書)が行われたのです。 いわゆる「閔妃暗殺事件」です。角田房子の詳細な調査による『閔妃暗殺』(新潮文庫)などで知られています。ただし、尹健次氏によれば、「『閔妃』とは、殺害後、日本側が明成皇后を見下してつけた
2020/04/04 リンク