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(補足)福田恆存の「小林秀雄」論 - The Midnight Seminar
昨日のエントリ(「自意識に詰め腹を切らせる」)で、長年気になっていた「自意識に詰め腹を切らせる」... 昨日のエントリ(「自意識に詰め腹を切らせる」)で、長年気になっていた「自意識に詰め腹を切らせる」というセリフの出典を確認したのだが、この福田恆存による小林秀雄論は、短い評伝なのに内容が難しくて、久しぶりに「これは何を言ってるんだ……?」と悩みまくってとても疲れたので、一応考えたことをメモしておくことにする。解釈は間違っているかも知れないけど。 自我=自意識の無力さ 私は孫引きで覚えていた「自意識に詰め腹を切らせる」というフレーズを、「まともな人間は、自分の自意識みたいなものには、きちんと自分で始末を付けて生きているものなのだ」という意味に理解していた。「自意識には自分で始末を付けなければならない」ということ自体は正しいと思っているが、福田恆存が小林秀雄を評して言いたかったのは、そういうことではないのだ。 福田の「小林秀雄」を読むと、小林秀雄が「人間は自意識をコントロールして生きなければなら
2014/01/24 リンク