エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
自分らしさ(3) 記憶ビジネス | 藤崎圭一郎の雑思録
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
自分らしさ(3) 記憶ビジネス | 藤崎圭一郎の雑思録
人は記憶の塊である。渋谷のハチ公前交差点や新宿駅のホームの雑踏で「この人たちみんな違う記憶データ... 人は記憶の塊である。渋谷のハチ公前交差点や新宿駅のホームの雑踏で「この人たちみんな違う記憶データを積んでるんだ」と思うと少しばかり身震いがする。生まれてからこのかた見てきた光景は人それぞれ全く違う。住んできた所も1時間前の体験も違う。しかも、外見からだと誰も他人がどんな記憶を持っているか分からない。それぞれ違う記憶の塊がうじゃうじゃ町を歩いている。 その「読み取り不能の似てなさ」に身震いするのだ。外国で初めて地下鉄に乗ったときの感覚──周りの人たちが顔立ちも言葉も匂いも違うのにおののき、異邦人を自覚するときの身震いである。 人は親しい人と記憶の共有化を行う。いっしょに映画を観て、いっしょに旅行して、いっしょに飲んで食べて……重なり合った記憶はお互いのコミュニケーションの基盤となる。しかし旅の記憶で他人と完全に同じデータを共有できるのはスナップ写真くらいである。同じ場所に行ったり同じ本を読ん