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浅野紀予「イメージと詩の精神」 | ÉKRITS / エクリ
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浅野紀予「イメージと詩の精神」 | ÉKRITS / エクリ
見出される時を求めて 生命は、いましがた、ひきさがるときに、人生の幻滅をもっていってしまった。ある... 見出される時を求めて 生命は、いましがた、ひきさがるときに、人生の幻滅をもっていってしまった。ある微笑が祖母の唇の上に浮かんでいるように見えるのであった。この喪のベッドの上に、死はすでに、中世の彫刻師のように、彼女を乙女の姿で横たえていた。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて※1』 自分のなかに、いつまでも消えることのない痕跡を刻みつけるような一葉の詩、一枚の絵画、あるいは一編の小説と、これまで幾たびか出会ってきました。『失われた時を求めて』は、そのような作品のひとつであるのですが、この長い長い物語のなかで、わたしはかつて感じたことのないような、不思議な感覚を体験しました。 それは、話者である主人公の祖母が、病いによって亡くなる場面でのことでした。より正確には、息を引き取った祖母の亡骸を話者が見つめている、わずかな時間についての叙述を読んでいたときのことです。わたしはそのとき、文庫本