新型コロナウイルスに関する情報は、厚生労働省の情報発信サイトを参考にしてください。情報を見る
エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
歴史から欠落したメソアメリカのタトゥー①
<<「南米カヤビに伝わる食人タトゥー」篇を読む アポカリプト これは年代ごとのイメージがだいぶ違う... <<「南米カヤビに伝わる食人タトゥー」篇を読む アポカリプト これは年代ごとのイメージがだいぶ違うと思うのだが、80年代末の新大久保は、かなりいかがわしい街というイメージだった。当時、韓国で大ブームになっていたが、日本ではまだ発売されていなかった「辛ラーメン」や「ジャージャー麺」を箱で買うために、一人暮らしをしていた武蔵境から大久保通りの韓国スーパーにちょくちょく通っていた。韓流ブームのずっと前の時代。街は今のような韓流観光地ではなく、さまざまな国の人々が容易に住居や店舗を構えられるという賃貸事情の特徴と、多言語コミュニケーションを疎ましく思う警察の不介入から、ちょっとした租界(自治権を備えた外国人居留地)みたいなものとなっていて、裏通りにわずかに入っただけでバイニンやタチンボと思われる人々がたくさんいた。中南米やロシア、東欧から来てるタチンボの女たちはエキゾチックでとてもセクシーだった。