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信じることと期待することの他力本願さ - HYLEにっき
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信じることと期待することの他力本願さ - HYLEにっき
なんか、「信じる」の使い方をちょっと自分に都合のいい解釈で使う人が多いなあ、と感じる今日このごろ... なんか、「信じる」の使い方をちょっと自分に都合のいい解釈で使う人が多いなあ、と感じる今日このごろ。 よく、「信じてたのに!」とか、「裏切られた!」って騒ぐ人って、相手のことを信じていたというよりも、相手によってもたらされる自分への利益が期待していたほどに与えられなかった場合に「信じていた」という言葉を多用する気がする。 じゃあ、信じるって一体何なのよ、って話になるんだけど、私にもよくわからない。(え) 辞書的な意味だと本当だと思い込むとかそういう意味だけど、やっぱりここにも期待は含まれてるのかな。含まれてるんだな、きっと。 だから、信じるって言葉も期待するっていう言葉も、私は自分にしか使いたくないな。その言葉を他人に対して使うって、ものすごく他力本願だもの。 実際、自分にそんな言葉を使ったって現実はなにもかも「やってみないとわからない」ってのが真実ですが。 まあ、将来のことなんて何もわから