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茶の作法など知らぬ!京から近江、伊勢、山陰へ。島津家久の戦国あばれ旅【復路編】 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
鹿児島市の西北約30kmに位置する、いちき串木野市。 戦国の頃、串木野城の城主を務めていたのが、南九州... 鹿児島市の西北約30kmに位置する、いちき串木野市。 戦国の頃、串木野城の城主を務めていたのが、南九州に勢力を広げる島津(しまづ)4兄弟の末弟で、戦(いくさ)上手で知られる島津中務大輔家久(なかつかさだゆういえひさ)であった。 天正3年(1575)、29歳の家久は、家臣らとともに京都、伊勢への旅に出る。旅の名目は、長兄で島津家当主の義久(よしひさ)が南九州を無事に治めていることを、兄に代わって伊勢神宮や京都の愛宕(あたご)山などに参詣し、諸神仏に御礼を述べるためである。とはいえ、百戦錬磨の武将である家久の旅の本当の目的が、そんな殊勝なものであるはずもない。実際はさまざまな見聞を広めるためで、時に無礼者をこらしめ、大いに酒を飲みながらの「あばれ旅」であった。 串木野から京都まで、現在のJRの路線でおよそ900km余り。この距離を家久一行は、途中船も利用しつつ2ヵ月弱で踏破した。その様子は、本
2024/04/29 リンク