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吉備真備 - Wikipedia
『皇国二十四功 吉備大臣』月岡芳年作 吉備 真備(きび の まきび)は、奈良時代の公卿・学者。氏姓は下... 『皇国二十四功 吉備大臣』月岡芳年作 吉備 真備(きび の まきび)は、奈良時代の公卿・学者。氏姓は下道(しもつみち)朝臣のち吉備朝臣。右衛士少尉・下道圀勝の子。官位は正二位・右大臣。勲位は勲二等。 出自[編集] 下道氏(下道朝臣)は下道国造氏で、孝霊天皇の皇子である稚武彦命の子孫とされる皇別氏族[3]。下道国とは備中国下道郡付近の、下道・川上・浅口などの諸郡と想定される[4]。姓は臣であったが、天武天皇13年(684年)八色の姓の制定を通じて朝臣に改姓した。 経歴[編集] 遣唐留学生として入唐[編集] 持統天皇9年(695年)備中国下道郡也多郷(八田村)土師谷天原(現在の岡山県倉敷市真備町箭田)に生まれる[5]。 元正朝の霊亀2年(716年)第9次遣唐使の留学生となり、翌養老元年(717年)に阿倍仲麻呂・玄昉らと共に入唐する。唐にて学ぶこと18年に及び、この間に経書と史書のほか、天文学・
2018/07/01 リンク