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松平長親 - Wikipedia
松平 長親(まつだいら ながちか)は、戦国時代の武将。松平親忠の三男。徳川家康の高祖父。 生涯[編集]... 松平 長親(まつだいら ながちか)は、戦国時代の武将。松平親忠の三男。徳川家康の高祖父。 生涯[編集] 明応5年(1496年)、安祥城主・安祥松平家として分出。しかしこの頃、隣国駿河国の今川氏親からの攻撃を受けるようになり、本家の岩津松平家をはじめ、鼠算式に各地に分出した一族は苦戦を強いられていた。氏親の家臣であった伊勢盛時(伊勢宗瑞・一般には北条早雲として知られる)と戦ったこともある。また、連歌などの教養にも秀でていたと言う。 宗家岩津松平の討滅[編集] 永正5年(1508年)旧暦8月、今川氏親名代の伊勢宗瑞率いる今川軍は大樹寺を本陣として岩津城を攻めた(永正三河の乱)。しかし、「岩津殿」は戦に名のある家来もあって城に敵を近寄せない戦いぶりだったために、今川勢も持てあましたという。 『三河物語』の記述に依ると[1]、その間に、岩津への救援軍として安祥城の長親が井田野に現れると、これを迎え
2021/07/08 リンク