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第2回 あり得たかもしれない、もうひとりの自分の生活史を書く | 千葉雅也×岸政彦「書くってどういうこと?――学問と文学の間で」 | 千葉雅也 , 岸政彦 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
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第2回 あり得たかもしれない、もうひとりの自分の生活史を書く | 千葉雅也×岸政彦「書くってどういうこと?――学問と文学の間で」 | 千葉雅也 , 岸政彦 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
(前回の記事へ) 中間の秩序をどう作るか 千葉 僕は普段からツイッターで細かな気付きをメモし、それ... (前回の記事へ) 中間の秩序をどう作るか 千葉 僕は普段からツイッターで細かな気付きをメモし、それをもとに執筆に取り掛かることが多いのですが、ひとつのツイートの字数が上限140字に制限されていることが書きやすさをもたらしてくれる要因になっている。これもフレームの一種だと思うんです。事実や取材に基づいて執筆することもそうですね。何もない白紙の状態でいまから自由に書きますよ、と意気込んでもなかなか上手くいかない。書くための技法として捉えると、有限の字数設定をすることと具体的な土地について書くんだと問題設定することは、よく似ている。だから実話ベースって書きやすいんですよ。 岸 確かに僕も、小説の中でこれは完全にフィクションのエピソードやなと思って書いているとき、自分が何か意図的に話を作っているというより、そのエピソードに従って書き写しているという感覚の方が近いかもしれない。こちらは流れてくるもの