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多賀城 政庁跡 - カリバ旅行記
陸奥国を行く 39 宮城県多賀城市、古代の陸奥国府が置かれていた多賀城に来ています 多賀城の中心であ... 陸奥国を行く 39 宮城県多賀城市、古代の陸奥国府が置かれていた多賀城に来ています 多賀城の中心であった、陸奥国庁が置かれていた政庁跡までやってきました 多賀城は724年に創建され、11世紀中ごろまで古代東北の拠点として機能していました 多賀城は一辺約1kmの外郭区画施設(築地塀や材木塀)で囲まれ、南・東・西辺には門が開かれていました ほぼ中央には政庁が置かれていました 政庁では成務や儀式がおこなわれ、正殿・脇殿などの建物が計画的に配置されていました 多賀城は中央に正殿、前方左右に東・西脇殿、南正面に南門が建てられていました。 4時期の変遷があり、第I期には掘立式の建物が建てられていました 第II期は礎石式の建物に建て替えられました 780年の伊治呰麻呂の乱(これはりのあざまろのらん)により焼失しました 第Ⅲ期 伊治呰麻呂の乱の跡、再建されましたが貞観の大地震(869)で被害を受けました