エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
1948年の民族教育弾圧について――前田年昭氏への疑問 | 日朝国交正常化と植民地支配責任
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
1948年の民族教育弾圧について――前田年昭氏への疑問 | 日朝国交正常化と植民地支配責任
「繙蟠録――編集人前田年昭のブログ」に3月29日付で掲載された記事「「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼... 「繙蟠録――編集人前田年昭のブログ」に3月29日付で掲載された記事「「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 除幕集会」開催される」に、以下のような記述があった。 「敗戦直後の1948年,アメリカ占領軍と吉田政府による朝鮮学校閉鎖令に反対して日本人と在日朝鮮人は肩を組んで阪神教育闘争を闘い,撤回させた歴史があります。日本の敗戦は,侵略戦争で凍り付いた日本人の心を氷解させるよい契機だったのです。しかし,戦争責任に口をつぐんだ日本人は再び凍り付いてしまいました。」 前田氏によれば、これは3月28日に三重県熊野市で行なわれた「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 除幕集会」での発言とのことである。高校「無償化」から朝鮮高校を排除することへの批判など、全体の趣旨に賛同しないわけではないが、一読していくつかの疑問を感じたので、以下に記すことにする。 第一に、前田氏は「敗戦直後の1948年,アメリカ