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空手の「裏当て」の起源 - 火薬と鋼
先日、Twitterで浸透勁、裏当て、体の内側を破壊する当身といった技術は、昔の古武術の史料にはないとい... 先日、Twitterで浸透勁、裏当て、体の内側を破壊する当身といった技術は、昔の古武術の史料にはないという話題が出て、その関連で空手の裏当ての情報を追うことになった。 1. 諸賞流の当身 裏当てについて調べると、まず出てくるのが古武道の諸賞流(諸賞流 - Wikipedia)の当身である。 盛岡藩で利済公(南部利済 - Wikipedia)の時代、各流派の甲冑試合が行われることになった。諸賞流54代佐藤延栄師範が病気だったため、19歳の松橋宗年(のち57代師範)が代理で出場することになった。宗年は、武具奉行から試合で着ける甲冑を選ぶように言われたがそこにあるような甲冑を相手にしては試合ができない理由として、柱に鎧をくくりつけて胸板水月のところに肘当てを入れた。鎧の表面には何の変わりもないが奉行が鎧を外してみると内側の蛇腹の部分がばらばらに破れていたという(この時の蛇腹の破れた鎧は大正時代初
2022/07/24 リンク