エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
4月18日 宗教の一番の売りは、生物としての人間の根源的な死の恐怖ではないだろうか。 - 夢見るように、考えたい
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
4月18日 宗教の一番の売りは、生物としての人間の根源的な死の恐怖ではないだろうか。 - 夢見るように、考えたい
宗教が常に死後の世界が素晴らしいということを説いているのも、それは逆説的には死ぬのが怖いので、死... 宗教が常に死後の世界が素晴らしいということを説いているのも、それは逆説的には死ぬのが怖いので、死を恐れないようにするための一つの方策として色々な理論を組み立てているのです。 勝間和代さんのブログからの学びである。 人が生き物であり、自らが死ぬことを心の中ではとことんわかってはいるが、そのことを直視したくないこともその反作用でとことんわかっている。 勝間さんの教えで気づいたのは、職業としての「宗教」、つまりその宗派に関わる人間が、その関わりから「生きる為の費用を得る」ためには、各人が持つ死への恐怖を際立たせ、訴えかけることで、それに対する「手段」を宗教的に「信じさせる」ことで対価を得ることが必要だろう、ということだ。 宗教組織に、組織人として「就職」した人たちは、それを奇跡の風味でまぶして「信じさせる」ことに特化すべきなのだ、我が生の「糧」を稼ぐためには、ということをとことん学ぶことだろう(