エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
行徳散歩4(最終回) 千葉県市川市伊勢宿、押切 - 墳丘からの眺め
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
行徳散歩4(最終回) 千葉県市川市伊勢宿、押切 - 墳丘からの眺め
前回のつづき。 常夜灯を見た後に、再び権現道、行徳街道へ戻った。 教信寺 こちらも権現道沿いにある... 前回のつづき。 常夜灯を見た後に、再び権現道、行徳街道へ戻った。 教信寺 こちらも権現道沿いにある。2階に上がって本堂という形。 1570年開創。戦前まで信楽寺(しんぎょうじ)として残ってきたものの昭和20年の空襲で堂宇すべて焼失、昭和28年に教善寺と合併して現在に至る。 お寺も企業のように合併するのだと知った。 行徳街道に戻って、国登録有形文化財の「旧浅子神輿店」 昭和4年築 説明板があった。かつて神輿造りが地場産業だった。 国登録有形文化財 旧浅子神輿店店舗兼主屋 近世中期から近代にかけて製塩と舟運で栄えた本行徳において、神輿造りは一つの地場産業でした。この中にあって、室町時代末期に初代浅子周慶が創業したとされる浅子神輿店は独特な神輿造りで広く受け入れられた老舗でした。 昭和4年に上棟した店舗は、木太く豪快な正面の造り、粋を凝らした二階南側の窓縁や庇屋根の造り、また露盤(ろばん)鳳凰の