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実在性のカテゴリーについて――記号主義から考える(7) - 現在思想のために
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実在性のカテゴリーについて――記号主義から考える(7) - 現在思想のために
「想像的なものの非実在性」をサルトルがどのように把握したかを解釈するために、彼による意識の「静態... 「想像的なものの非実在性」をサルトルがどのように把握したかを解釈するために、彼による意識の「静態学的」分類をとりあげよう。それによれば、対象が意識に与えられる様式によって、意識は三つの部類に分れるという。すなわち〈知覚〉(percevoir)、〈概念知〉(concevoire)もしくは〈純粋知〉(savoir pure)、最後に<想像>(imaginer)である。 それぞれの特徴を簡略に述べることにしたい。サルトルは分類するために三つの基準を設定している。すなわち、1)意識への対象の与えられ方、2)対象の存在措定可能性、3)作用の様態――これらである。 まず1)であるが、対象は知覚と概念知とではその与えられ方が対照的であるという。すなわち、知覚に対して出現する対象は汲みつくせない無際限な特性をそなえているが、概念知の場合には特性はあらかじめ限定されている。 さて問題の想像に関しては、無際限