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nix in desertis:台湾と日本の間で
芸大の台湾の近代美術展に行ってきた。国立台北教育大学北師美術館との共同企画である。1895年に日本領... 芸大の台湾の近代美術展に行ってきた。国立台北教育大学北師美術館との共同企画である。1895年に日本領となってから,1945年に独立するまでの間,東京芸大に台湾から多数の留学生が訪れていた。そこを卒業した彼らはそのまま日本に残ったもの,台湾に帰って近代美術を広めたもの,あるいは大陸に渡ってそちらで近代美術を広めたものと,多種多様な進路をたどった。なお,1895年と展覧会のサブタイトルにもついているが,実際には最初の留学生が芸大に入ったのは1915・1916年のことである。ただし,彼らの生まれた年が奇しくも1895・1894年であり,純粋に清代に生まれた留学生というのは存在していないようだ。 近代美術とあえてぼかしたが,要するに西洋美術の技法である。台湾植民地からの留学生が,東京で西洋美術を学ぶという非常にねじくれた現象が当時の東京では起きていた。そうした留学生たちが卒業後,東京や台湾にとどま