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【批評の座標 第22回】蓮實重彥、あるいは不自由な近代人(鈴木亘)|人文書院
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【批評の座標 第22回】蓮實重彥、あるいは不自由な近代人(鈴木亘)|人文書院
第22回で取り上げるのは、フローベール研究から出発した仏文学者であり、アカデミズムでも批評の場でも... 第22回で取り上げるのは、フローベール研究から出発した仏文学者であり、アカデミズムでも批評の場でも第一線で活躍し続けている蓮實重彥です。『表層批評宣言』等の著作を丹念に読み解きながら、「近代」という観点から蓮實にとって「批評体験」とは何か、今月初めての単著『声なきものの声を聴く――ランシエールと解放する美学』を上梓する美学研究者・鈴木亘が探ります。 批評の座標 ――批評の地勢図を引き直す 蓮實重彥、あるいは不自由な近代人鈴木亘 1. 批評体験 蓮實重彥(1936-)は最初の著作『批評 あるいは仮死の祭典』(1974年)の第二段落で、すでに自身の文体的特徴をかなりの程度発揮させながら、しかしいくぶん実存主義の香りを残した調子で、「批評体験」について次のように説き起こしている。 ところでおよそ「作品」と呼ばれるものと関わりを持ってしまうことは、環境として馴れ親しんでいた言葉の秩序が不意にあやう