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花束みたいな恋をしたぼくは花束だったのだろうか|かみしの
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花束みたいな恋をしたぼくは花束だったのだろうか|かみしの
怖かった。 きのこ帝国のクロノスタシスをカラオケでうたう二人の映像を見たときから。『たべるのがおそ... 怖かった。 きのこ帝国のクロノスタシスをカラオケでうたう二人の映像を見たときから。『たべるのがおそい』を読む菅田将暉を見たときから、今村夏子の話をする、と聞いたときから。青山ブックセンターで特集されていた本棚が、ぼくの家の本棚と酷似していたときから。ぼくは怖かった。きっとこの映画をぼくは見るべきではないし、絶対に見るべきだ、と思った。 舞城王太郎が小説の中で「恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない」と書いていた。だからぼくは帰った。怖くて明るいところに。 大学生になったぼくは仕分けをはじめた。民主党による事業仕分けがホットワードだった頃だ。ぼくは次々に仕分けをはじめた。太宰治と有川浩は別の箱だった。ART-SCHOOLとFUNKY MONKEY BABYSは別の箱だった。時計じかけのオレンジとターミネーターは別の箱だった。仕分けして、仕分けして、仕分けして、そうやって積