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『分け入っても分け入っても日本語』の「ホルモン焼き」について|近代食文化研究会
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『分け入っても分け入っても日本語』の「ホルモン焼き」について|近代食文化研究会
「ホルモン焼き」 | 分け入っても分け入っても日本語 | 飯間浩明 | 連載 | 考える人 | 新潮社 「こ... 「ホルモン焼き」 | 分け入っても分け入っても日本語 | 飯間浩明 | 連載 | 考える人 | 新潮社 「このことばはどうして生まれたのだろう?」 そんな疑問がふと頭をよぎったことはありませんか。膨大な日本語と日々向き合う国語 kangaeruhito.jp 大変素晴らしい内容です。 ホルモン=ほうるもん説は、『モノになる動物のからだ』(中島久恵)、『焼肉の誕生』(佐々木道雄)、そして拙著『焼鳥の戦前史』において、誤りであることが証明されてきました。 しかしながら、ホルモン=ほうるもん説はいまだに根強く流れています。こういった形で、いわば日本語のプロフェッショナルである国語辞典編纂者の飯間浩明さんから批判的検討が加えられたことは、私にとって頼もしいかぎりです。 さて、『分け入っても分け入っても日本語』「ホルモン焼き」の内容についてですが、食文化史研究の観点からすると若干気になる表現がありま