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39 ひとつになった仏教世界(上) 仏教ルネッサンスの時代|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇|佐藤哲朗(nāgita)
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39 ひとつになった仏教世界(上) 仏教ルネッサンスの時代|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇|佐藤哲朗(nāgita)
仏教ルネッサンスの時代アナガーリカ・ダルマパーラの死の翌年、昭和九(一九三四)年、日本では高楠順... 仏教ルネッサンスの時代アナガーリカ・ダルマパーラの死の翌年、昭和九(一九三四)年、日本では高楠順次郎らの提唱で「仏誕二千五百年」を祝う盛大な行事が行われた。ただしこの年がブッダ釈迦牟尼の誕生より二千五百年といえるか否かは宗派によって異論が甚だしく、学問的にもいまだ確定していない。この高楠のキャンペーンは昭和五(一九三〇)年五月にハワイで開催された「第一回汎太平洋仏教青年会大会」での決議を踏まえたものではあったが、日本仏教界の大事業である『大正新脩大蔵経』が同年に完成したことを機に通仏教的記念行事を開くという、便宜的色彩も強かった。ゆえに田中智学はじめ日蓮仏教の関係者が強く批判したほか、西本願寺もこの年の末になって高楠の説を認めない通達を出すなど、日本仏教徒挙げての祝祭とはとても言いがたいものだった。 しかし、昭和九(一九三四)年はアジア仏教徒の国際交流という点では画期的な年になった。東京で