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「オープンな性教育」は本当にベストなのか?~解放的性教育の余波~|村中璃子 Riko Muranaka
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「オープンな性教育」は本当にベストなのか?~解放的性教育の余波~|村中璃子 Riko Muranaka
日本では「避妊を教えること」と即物的に捉えられている性教育は、ドイツではさまざまな社会問題と絡め... 日本では「避妊を教えること」と即物的に捉えられている性教育は、ドイツではさまざまな社会問題と絡めて、常に神経質に見直されているテーマです。 日本では「海外の性教育」と言うと、オープンで具体的な姿勢を賞賛するものが目立ちますが、少なくともドイツでは、オープンで具体的な性教育が必ずしも評価されている訳ではありません。 新左翼による「子どもの性解放」ドイツの性教育は、日本の比ではなくこじれています。 ドイツの性教育も、家父長的な家族観から「女性の性を解放する」というウーマンリブの流れの中で生まれ、「性的奔放を助長する」という議論で揺れた点では日本と同じですが、ナチズムへの反省と結びついたもう1つの軸により、日本とはまったくと言っていいほど異なる変遷をたどってきました。 もう1つの軸とは、「子どもの性の解放」の問題です。 新左翼系の運動家でもあった性科学者、ヘルムート・ケントラー(1928年―20