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『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』を読んだ|shisho|note
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『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』を読んだ|shisho|note
「災害の跡をどのように残し後世に伝えれば良いか、そもそも災害の跡は残すべきか。」 そんな話を東日本... 「災害の跡をどのように残し後世に伝えれば良いか、そもそも災害の跡は残すべきか。」 そんな話を東日本大震災から7年の節目にラジオで聴いた。その中で触れていたのが、長崎はかつて、原爆投下によって破壊された浦上天主堂(教会)を残すことができなかったという話しだった。広島には原爆ドームがあり、被爆地の象徴として日本人なら誰でもイメージできる。一方で、長崎の場合はこれと言ってシンボルらしきものはない。現在の浦上天主堂は、原爆によって破壊され、戦後建て替えられたものなのだが、かつての廃墟はすぐに取り壊れたわけではなく、戦後13年もの間、形をとどめて''残されていた''。今回、そのいきさつを知りたくてタイトルの本を手に取ってみた。まず、あらすじに触れたい —明治から大正にかけ、30年の歳月をかけて作られた浦上天主堂。かつて東洋一の大きさを誇ったその教会は、1発の原子爆弾によって廃墟と化した。戦後、長崎市