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VRにおける"時間"と"自分" - VR演劇「Virus」と音と光の祭典「バチャフェス」で感じた、"没入感"以上のもの|timakin (ちまきん)|note
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VRコンテンツ盛りだくさんの東京ゲームショウも開催されてたのに、同じ日にこれやってるのやばくないで... VRコンテンツ盛りだくさんの東京ゲームショウも開催されてたのに、同じ日にこれやってるのやばくないですか? なおもう一つ、VR個展「1%の仮想」も開催されていたようですが、すみませんこちらは行けませんでした。要領が悪かった。 さて、以前VRChatが、現実世界における認識を変えてくれたという主旨のブログを書きましたが、今回は少し違う視点から価値観の変化を感じたので、それを記録しようと思います。 大まかに書くと、これまでVRChatで自ら様々な場に身を運んでいくことで、別の世界も見てみたいという欲求が強くなり、リアルワールドでの行動の動機付けがされていたのですが、今回は視聴者という受け取り手の立場からイベントを観ることで、バーチャル空間ならではのスケールや、バーチャルにおける自分のあり方というものを考えさせられた、という話です。 VirusについてVirusとは...?そのストーリーとは?脚本