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「高校野球でここまでやるか」継投が異端視された20年前…“木内マジックの完成形”常総学院が優勝するまで「甲子園、40度くらいになるんだ」(田口元義)
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「高校野球でここまでやるか」継投が異端視された20年前…“木内マジックの完成形”常総学院が優勝するまで「甲子園、40度くらいになるんだ」(田口元義)
天才的な「継投の判断」 木内が継投を駆使するようになったのは、2000年代に入ってからだった。 常総学... 天才的な「継投の判断」 木内が継投を駆使するようになったのは、2000年代に入ってからだった。 常総学院で初の日本一となった01年のセンバツ。チームはエースの村上尚史と外野手を兼務する左腕の村田哲也、サイドスローの平沢雅之とタイプの異なるピッチャーを揃えていた。大会では結果的に、村上が5試合33イニングを投げたが、木内はこのエースに依存はしていなかった。 「センバツの前の練習試合でエースが一番ダメ。2番手、3番手が絶好調。だから甲子園でもふたりを出したらもたなかった。ほんでエースを出したら抑えちゃった」 このセンバツで印象深い継投策を挙げるとすれば、仙台育英との決勝戦だ。 6-2の6回。先発の村上が1点を奪われ、なおもピンチを作ると、木内はすぐに村田にスイッチし後続を断ち切らせた。さらに7回の満塁の場面でも村田から代わった平沢が押し出しフォアボールを与えると、センターを守っていた村田を再び