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「ええ投手になるで!」清原に絶賛された高卒ルーキーは、なぜたった“2勝”で引退したのか? 星野も落合もホレた天才右腕の悲劇と今(栗田シメイ)
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「ええ投手になるで!」清原に絶賛された高卒ルーキーは、なぜたった“2勝”で引退したのか? 星野も落合もホレた天才右腕の悲劇と今(栗田シメイ)
2000年ドラフト会議で、中日ドラゴンズから1位指名を受けた右腕・中里篤史。しかし、星野仙一や落合博満... 2000年ドラフト会議で、中日ドラゴンズから1位指名を受けた右腕・中里篤史。しかし、星野仙一や落合博満ら歴代の指揮官から高く評価された才能は、プロ野球の世界で最後まで輝きを放つことはなかった。“悲運のエース”と呼ばれた天才ピッチャーは今…。【NumberWebインタビュー全2回の前編/後編へ続く】 今から23年前の2001年9月、故・星野仙一監督の中日監督としてのラストイヤーのことだ。闘将がナゴヤドームの先発マウンドに送り出した高卒ルーキーの姿に、名古屋のファンは“未来のエース”の姿を予期した。 相対する巨人の強力打線に対して150キロを超えるストレートで真っ向勝負。異常なまでに打者の手元でノビるボールに、打ちそこなった高橋由伸が首をかしげ、松井秀喜は「スピードがある」と驚き、清原和博は「ええ投手になるで!」と絶賛した。 だが、その有り余る才能はプロ野球の世界で最後まで花開くことはなかった