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嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その3) - Peepooblue’s Sketchbook
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嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その3) - Peepooblue’s Sketchbook
江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊散策日記『江戸近郊道しるべ』の「南郊看花記」のルートを辿... 江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊散策日記『江戸近郊道しるべ』の「南郊看花記」のルートを辿っている。文政二年三月二十五日(1819年4月20日)、嘉陵が六十歳の春の記録である。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 高輪・泉岳寺の南隣の如来寺で知り合った、ほぼ同世代の大日向民右衛門と一緒に歩き出した嘉陵は引き続き、いろいろと語り合いながら、二本榎から高台の尾根道を南へ下る。次にめざすのは江戸近郊の一大行楽地で桜の名所でもある品川の御殿山である。 当時の二本榎にはその名の通り、2本の榎が聳えていたが、今は昭和八年落成の高輪消防署二本榎出張所の建物がランドマークである。かつては望楼から東京湾が望めただけでなく、東京市内が一望できたという。 「台の町をすぐにゆきはつれば、菜の畑をへだてて、向ひに御殿山、其西に大崎の