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貧困救済に対する冷たさは日本の歴史的特徴/木下光生「貧困と自己責任の近世日本史」
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貧困救済に対する冷たさは日本の歴史的特徴/木下光生「貧困と自己責任の近世日本史」
歴史は時に残酷な事実を突きつけることがある。 木下光生「貧困と自己責任の近世日本史」がその代表例と... 歴史は時に残酷な事実を突きつけることがある。 木下光生「貧困と自己責任の近世日本史」がその代表例と言え、 「21世紀の日本は、なぜ、かほどまでに生活困窮者の公的救済に冷たい社会となり、異常なまでに「自己責任」を追求する社会となってしまったのか。」P9 という問題意識から、 主に江戸時代の村社会の史料を読み解くことで、歴史的な考察を試みるのだが…。 浮かび上がったのは、過去の日本は助け合いの社会というイメージを覆すものだった。 「各家の自己責任が前提とされていた以上、村の公的救済も臨時的なもので良しとされ、ゆえにそれが「ダダで救う」ような施行という形式をとった場合、受給者は村に迷惑をかけた者としてあつかわれ、屈辱的な日常生活を強いるような厳しい制裁がくだされていったのである。近世日本社会は、自己責任観を強烈に内面化していたがために、公権力も含めて社会全体として、生活困窮者の公的救済は臨時的、