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【橋を見る64】谷瀬の吊り橋(谷瀬大橋)昭和29年〜十津川村と新十津川町秘話〜 - PONYの缶詰
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【橋を見る64】谷瀬の吊り橋(谷瀬大橋)昭和29年〜十津川村と新十津川町秘話〜 - PONYの缶詰
「遠津川」都からも港(津)からも遠く離れたこの秘境の村を今は十津川と呼ぶ 谷瀬の吊り橋は、「たにぜ... 「遠津川」都からも港(津)からも遠く離れたこの秘境の村を今は十津川と呼ぶ 谷瀬の吊り橋は、「たにぜ」と読ませるが、橋を渡った銘板は「たにせおおはし」と 濁らない。奈良ではNO.1の景観を誇る谷瀬の吊り橋誕生秘話や揺れる恐怖の様は語り尽くされているので今回は違った視点から見ていきたい。 十津川村が裕福だった訳 租税勅免地 壬申の乱で天武天皇が吉野から挙兵する際に十津川の人々が大きな功績を残したことで租税を免除される。その後の後醍醐天皇南朝時代にも貢献しずっと先の豊臣政権になっても十津川は御赦免の地であったために税に苦しむことなく比較的裕福な村だったと思われる。有祖地となったのは明治6年からである。 予期せぬ悲劇 明治22年8月未曾有の暴風雨に吉野郡一帯が襲われる。中でも十津川の被害は甚大で 多くの家屋は流され水田の50%を失う。村人たちの決断は早かった 新天地を求め北海道へ! 新十津川村開拓