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郡山東俣の一之宮神社、森の中に島津忠久・丹後局・惟宗広言を祀る - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
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郡山東俣の一之宮神社、森の中に島津忠久・丹後局・惟宗広言を祀る - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
島津忠久(しまづただひさ)は島津氏の初代である。この人物を祀る神社が鹿児島市郡山町東俣に鎮座する... 島津忠久(しまづただひさ)は島津氏の初代である。この人物を祀る神社が鹿児島市郡山町東俣に鎮座する。一之宮神社(いちのみやじんじゃ)がそれだ。大きな古木が立ち並ぶ森の中へと参道が伸びる。奥には立派な社殿があった。 島津氏の祖 森の中へ 18世紀に再興、花尾大権現の末社か 丹後局は満家院で没した? 大隅国富隈の一之宮神社 島津氏の祖 御祭神は三座。正位に島津忠久、左位に丹後局(たんごのつぼね)、右位に惟宗広言(これむねのひろこと、ひろとき、ひろのり)を祀る。このほかに供奉随身72体もあったという(『三国名勝図会』より)。 島津忠久はもとの名を惟宗忠久という。「島津」の名乗りは、領有した「島津荘(しまづのしょう)」より。島津荘は日向国・大隅国・薩摩国にまたがる巨大荘園である。 惟宗忠久は、文治元年(1185年)に源頼朝より島津荘の下司職(げすしき)に任じられた。さらに翌年に島津荘の惣地頭職に補任