エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「元気がないから兵隊に突かせる」処刑方法を決めたのは~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#31 - RKBオンライン
殺害された3人の米軍機搭乗員 1953年6月24日、スガモプリズンで獄死した前島勇市少尉。前島少尉... 殺害された3人の米軍機搭乗員 1953年6月24日、スガモプリズンで獄死した前島勇市少尉。前島少尉が赦免に向けて作成した「石垣島事件の概要」には、処刑の当日、誰がその方法を決めたのかが、会話形式で記されていた。 (石垣島事件の概要)※分かりやすく一部書き換え 1945年4月15日午後6時ごろ 司令井上大佐:「榎本中尉、前島少尉、ここへ来い」と命ぜられる(第三図)右手を出し、母指を折り「1名は幕田大尉が斬る。1名は田口少尉が斬る。あと1名は誰に斬らせようか」と井上副長の方を向いて言われた 副長井上大尉:「2名斬るんですから、1名は兵隊に突かせましょう」と言う 司令井上大佐:「2名斬らせて、1名は突かせることにする」 前島少尉:「兵隊は国民兵と補充兵で、訓練はなし。銃の持ち方も完全ではないから、突くことは困難と思います」 司令井上大佐:「敵が今日にでも上陸するというのに、突きも出来ないようでは
2024/04/06 リンク