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<メディア時評・記者の倫理>問われる高潔性 プロとしての規範確認を - 琉球新報デジタル
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<メディア時評・記者の倫理>問われる高潔性 プロとしての規範確認を - 琉球新報デジタル
昔なら「事件記者」、少し前なら「クライマーズ・ハイ」などのテレビドラマや映画を見て、記者って格好... 昔なら「事件記者」、少し前なら「クライマーズ・ハイ」などのテレビドラマや映画を見て、記者って格好(かっこ)いいなと思い職業選択をする人がいた。最近なら、米映画「ニュースの真相」「スポットライト」は、いずれもジャーナリストあるいはジャーナリズムを正面から問う作品だ。しかもそこではジャーナリストの「高潔性」が問われており、生半可な気持ちでは務まらない職業であることが分かる。 そして、昨今の事件被害者の匿名性をめぐる議論や貧困報道をめぐる騒動も、まさに「よかれ」と思って自信を持って行った報道に対し、一般市民から疑義が呈されている。このこと自体、メディアの信頼性が損なわれていることと裏表の関係にあると思われ、言論報道機関は改めて自らの姿勢を問い直す必要がある。 正確性と公正性 現在、多くの国で一般的に語られているジャーナリズム倫理としては、正確性(真実性)、公正性(独立性)、多様性、人道性(人権配