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『消え去る立法者』合評会(9月9日・慶応義塾大学三田キャンパス)を終えて(続) - shinichiroinaba's blog
もう少し「回顧的倒錯」の話をしよう。 遡るならばニーチェということになるのだろうけれど、フーコーの... もう少し「回顧的倒錯」の話をしよう。 遡るならばニーチェということになるのだろうけれど、フーコーの受容とともに我々は「系譜学」という方法になじんだ。永井均の言い回しを借りればそれは「現在の自己を成り立たせていると現在信じられてはいないが、実はそうである過去」「思い出として現存することを拒否された過去」についての言説であり、とりあえずは「現在の自己を成り立たせていると現在信じられている過去」「「思い出」という形をとって現存しているもの」についての言説としての解釈学と対比される。王寺が読むモンテスキュー、ルソーが批判する社会契約説は、まさにこの解釈学としてはたらきながら、現在を過去に投影してありもしない偽の起源をでっちあげる――そのようにして現在を正統化しようとする――「回顧的倒錯」である。 ただ王寺によればそこでモンテスキュー、ルソーはそうした起源の捏造によるその結果としての現在の正統化、を
2023/09/12 リンク