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大久保利通が征韓論に反対したのは政敵つぶしが目的 - ウェブ1丁目図書館
明治6年(1873年)。 征韓論争に敗れた西郷隆盛、江藤新平、副島種臣らが、官を辞して新政府を去りまし... 明治6年(1873年)。 征韓論争に敗れた西郷隆盛、江藤新平、副島種臣らが、官を辞して新政府を去りました。 征韓論は、武力をもって朝鮮を開国させようとするものであり、現在では考えられない外交手段です。しかし、明治初年の日本では、大多数の人々が征韓論に賛成の立場であり、議会で征韓論を反対した大久保利通や木戸孝允も、基本的には武力によって朝鮮を開国させるべきだと考えていました。 それなのに大久保利通は、征韓を主張する西郷隆盛と対立しました。 神功皇后の三韓征伐を信じていた 朝鮮を武力をもって開国させることを正しい行いだと、当時の日本人が信じていた背景には、神宮皇后の三韓征伐によって新羅が日本に服属したという神話があります。 現在では、三韓征伐は事実ではないと考えられていますが、三韓征伐を事実だと信じていた明治の政治家は、朝鮮は無礼だとし、武力を背景に開国させるべきだと考えます。 一体、何が無礼
2020/02/16 リンク