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八王子見て歩記/絹の道(中編) | 八王子見て歩記
かつては浜街道(横浜街道)と呼ばれ、八王子から鑓水、原町田を通って横浜へと通じていたこの道が「絹... かつては浜街道(横浜街道)と呼ばれ、八王子から鑓水、原町田を通って横浜へと通じていたこの道が「絹の道」と呼ばれるようになったのは昭和30年(1955年)頃からです。安政6年(1859年)に横浜が開港されると、安価で上質な生糸は重要な輸出品となります。山梨などから八王子に集められた生糸はこの道で横浜へと運ばれていきました。生糸の流通の売買で活躍したのが、地元鑓水の商人たちです。横浜に来航した外国人たちも、絹の道を通って八王子や高尾山などへ観光に行きました。トロイア遺跡を発掘したドイツのシュリーマンや、イギリスの外交官アーネスト・サトウが記録を残しています。道了堂(現在の大塚山公園)から、絹の道資料館近くの分かれ道までに当時の面影を残しています。 大塚山公園入口(道了堂跡)からはじまる絹の道 旅人の安全を祈って建てられた道了堂跡から先の山道が「史跡 絹の道」です。舗装こそされていませんが、雑草