エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
迷宮都市・那覇を歩く 第11回 真嘉比の変貌:都市化のなかのシマ | web太陽 ― webtaiyo ―
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
迷宮都市・那覇を歩く 第11回 真嘉比の変貌:都市化のなかのシマ | web太陽 ― webtaiyo ―
現在では想像しにくいが、那覇市の中でも「真和志」や「小禄」という地域は、戦前まで農村地帯であった... 現在では想像しにくいが、那覇市の中でも「真和志」や「小禄」という地域は、戦前まで農村地帯であった。そこにはいくつものシマ(沖縄の言葉で「集落」を意味する)が点在していた。 那覇市街地と首里との間の丘の上にある「真嘉比(まかび)」(「真和志」地域に属する)もそのようなシマの一つである。1903(明治36)年の人口は506人で、世帯数は120。集落の周りに、さとうきび畑や芋畑が広がる典型的な純農村であった(真嘉比字誌編集委員会編『真嘉比字誌』真嘉比自治会、2014年。本稿の記述は、同書、および筆者による現地取材にもとづく)。 真嘉比の人びとの暮らしは、沖縄戦で一変した。那覇・首里周辺が激戦地となり、集落の人びとは山原(沖縄本島北部)や島尻(同南部)へ避難した。そして避難先で米軍の収容所に強制収容され、戦後もしばらく収容所暮らしが続いた。住民が真嘉比に戻ることができたのは1947年になってからだ