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横光利一 蠅
一 真夏の宿場は空虚であった。ただ眼の大きな一疋(いっぴき)の蠅だけは、薄暗い厩(うまや)の隅(す... 一 真夏の宿場は空虚であった。ただ眼の大きな一疋(いっぴき)の蠅だけは、薄暗い厩(うまや)の隅(すみ)の蜘蛛(くも)の巣にひっかかると、後肢(あとあし)で網を跳ねつつ暫(しばら)くぶらぶらと揺れていた。と、豆のようにぼたりと落ちた。そうして、馬糞(ばふん)の重みに斜めに突き立っている藁(わら)の端から、裸体にされた馬の背中まで這(は)い上(あが)った。 二 馬は一条(ひとすじ)の枯草を奥歯にひっ掛けたまま、猫背(ねこぜ)の老いた馭者(ぎょしゃ)の姿を捜している。 馭者は宿場(しゅくば)の横の饅頭屋(まんじゅうや)の店頭(みせさき)で、将棋(しょうぎ)を三番さして負け通した。 「何(な)に? 文句をいうな。もう一番じゃ。」 すると、廂(ひさし)を脱(はず)れた日の光は、彼の腰から、円(まる)い荷物のような猫背の上へ乗りかかって来た。 三 宿場の空虚な場庭(ばにわ)へ一人の農婦が馳(か)けつけ