エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
第1回 百田尚樹『日本国紀』にはなぜ「史観」がないのか:河野有理 | 日本史はどのように物語られてきたか | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
第1回 百田尚樹『日本国紀』にはなぜ「史観」がないのか:河野有理 | 日本史はどのように物語られてきたか | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
「悪党」をめぐる記述は史家の史観を問う重要な試金石となってきた[楠木正成像(東京都千代田区皇居外苑... 「悪党」をめぐる記述は史家の史観を問う重要な試金石となってきた[楠木正成像(東京都千代田区皇居外苑)、(C)時事通信フォト] 最初に取り上げたいのは『日本国紀』である。前回述べたような本連載の基本的な視点からすると、『日本国紀』は決して「面白い」歴史叙述ではない。しかし、なぜ「面白くない」かを考えることには、面白い歴史叙述とは何かを考えるにあたり大きな意味がある。また、日本史の通史を書くということがいかなる意味を持っているのかについても、重要な手がかりを与えてくれるだろう。なお、ここで「面白くない」というのはあくまで『日本国紀』という歴史叙述についてであり、小説家である著者の小説の面白さとはまた別である点は最初に確認しておきたい。 『日本国紀』、著者は百田尚樹。百田尚樹は1956年生まれ、同志社大学を中退後、放送作家としてテレビ制作に携わる傍ら、2006年特攻隊員をテーマにした『永遠の0』