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千曲川河川事務所 主要洪水の概要
(1) 寛保2年(1742年)8月洪水 この洪水は、近世以降最悪といわれ、寛保2年(1742年)8月1日、2日に発生し... (1) 寛保2年(1742年)8月洪水 この洪水は、近世以降最悪といわれ、寛保2年(1742年)8月1日、2日に発生した。戌年だったことから「戌の満水」と言われている。 正確に記されている書物はないが、被害の状況から台風が大阪付近に上陸、北上し中部関東を通り、三陸沖から太平洋に抜けた。この時に秋雨前線の活動に刺激を与えたという説がある。 7月27日から降り出した雨は、ほとんど止むことなく、8月1日まで降り続き、千曲川と支流は大洪水となり、山崩れなども引き起こした。 被害状況は、千曲川流域では死者2,800人前後となっている。田畑の被害も大きく、松代藩の財政は困窮し、その影響は明治まで続いたと言われる。みょう笑寺(長野市津野)の本堂の柱には善光寺平洪水水位標のもととなった洪水位跡があり、一番上が「戌の満水」時の水位である。(出典:「戌の満水」を歩く)
2019/10/15 リンク