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愚者の智慧~『歎異抄』で企業理念を考える(仏教と経営 第2回)
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愚者の智慧~『歎異抄』で企業理念を考える(仏教と経営 第2回)
鎌倉時代後期に唯円によって書かれたという仏教書『歎異抄』に出てくる親鸞の有名な言葉です。親鸞はの... 鎌倉時代後期に唯円によって書かれたという仏教書『歎異抄』に出てくる親鸞の有名な言葉です。親鸞はの宗祖、唯円はその弟子です。教科書にも出てきますので、聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。 「あれ、善人と悪人が、逆じゃないのかな?」と思わせるこの逆説的な言葉に惹かれて、親鸞ファンになる人も少なくありません。常識で考えれば、善人こそが救われて、悪人はその罪に相応の罰を受けるべき。では、親鸞の言葉の真意は? 自分の力(自力)で善を積んで救われようとする人は、阿弥陀仏の力(他力)にすべてをおまかせする心が妨げられて、かえって救いから遠ざかってしまうというのです。この言葉から、まず「自分のことを善人であると信じているうちはダメで、自分の悪い所や至らない所を自覚することが大切なんだ」という教訓を得ることができます。 人は誰しも、自分が可愛いもの。いつも自分は正しい、自分は悪くないと思っている。