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明治期の職人の腕を伝える 樽町本長寺の山門彫刻(横浜市港北区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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明治期の職人の腕を伝える 樽町本長寺の山門彫刻(横浜市港北区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
鶴見川を渡って綱島の南に行くと、樽町というところに出ます。 現在ではすっかり宅地化もされ、綱島街道... 鶴見川を渡って綱島の南に行くと、樽町というところに出ます。 現在ではすっかり宅地化もされ、綱島街道には多くの車が行き交う活発な街ですが、かつては一面の田畑が広がると共に、遠くには綱島温泉郷を眺める風光明媚なところであったと聞いています。 そんな樽町の、綱島街道から少し外れたところに日蓮宗寺院の長命山 本長寺と云うお寺があります。 このお寺はどんなお寺であるか、手元にある歴史史料「新編武蔵国風土紀稿」を紐解いてみました。 そこの「橘樹郡・神奈川領・樽村」の欄には、きちんと「本長寺」に関する記述があり、それによれば 字岨根にあり 日蓮宗にて 京都妙満寺末 長命山と号す 客殿六間に五間 東に向ふ本尊三宝を安ず 長六七寸 開山を日感と云 天正元年七月十三日寂せり 過去帳を見るに当村の百姓喜右衛門が先祖は北条氏真の属士にて荻野因幡と云 この人寺地を寄附して開基せり 法名を荻野院因幡日守と云と見えたり