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元近鉄オグリビー「自分と一緒に風呂入ってくれた」と喜んだ
今は亡き昭和の野球場をたどるこのコーナー。今回は、近鉄バファローズが本拠地を構えていた藤井寺球場... 今は亡き昭和の野球場をたどるこのコーナー。今回は、近鉄バファローズが本拠地を構えていた藤井寺球場のエピソードを紹介する。長らく低迷期が続いた近鉄も、西本幸雄監督の熱き指導のもとで強豪チームへと変身。1985年には球場の大改装も行われ、風呂場には大浴場ができた。 * * * 近鉄・藤井寺駅から球場まで線路に沿って歩く約1キロの道沿いには屋台が並んでおり、近鉄が勝利すると値下げが行なわれた。 ところが試合に負けると、相手チームの野球帽を見た気性の荒い河内っ子たちが、誰彼構わずつかみかかり、喧嘩になるのも年中行事だった。商店街の人たちは、「近鉄が強くなれ」と祈っていた。その方が平和になると思ったに違いない。 近鉄が強くなったのは西本幸雄監督時代が終わりを告げ、ナイター設備ができた藤井寺で腰を据えて闘うようになった、仰木彬監督の時代であった。1984年5月、「草魂」鈴木啓示が300勝を達成。198
2020/12/04 リンク