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死ぬこと生きること 〜「天地」チンギス紀17、北方謙三 - ことばを食する
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死ぬこと生きること 〜「天地」チンギス紀17、北方謙三 - ことばを食する
8月初めに義父が逝って、喪主を務めました。93歳。若いころから交友関係が広かった人で、通夜と葬儀に10... 8月初めに義父が逝って、喪主を務めました。93歳。若いころから交友関係が広かった人で、通夜と葬儀に100人を超える参列をいただき、息を引き取るまでの義父の人生について簡潔に話すことで、お礼のあいさつとしました。 わたしは11年前に実父をがんで失っていて、喪主として故人を見送ったのは2回目でした。自己にとって、たとえ肉親であっても他者の死とは「いた人が、いなくなる」という、単純な事実です。これが遺された人それぞれに、極めて深く、また浅く、疵を刻みます。 そして棺の中で花に囲まれた、無表情な顔を見ると、故人との思い出とともに、自分もまたこの世から消える日が必ずやってくるのだと沁みてきます。それは悲しみなのか、救いでもあるのか。確かなのは、人はなかなか死に親しむことはできないということでしょう。 子供のころ、わたしをかわいがってくれた叔母がいました。やや歳が離れた母の妹です。母が里帰りすると、幼